みんプロレポート vol.17

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② 請戸漁港~請戸小学校~大平山霊園(浪江町)

みんプロメンバーたちは、移動中のバスの中で、放射線について学んだ後、福島の今を知るために、前向きに復興と向き合っている場所として、浪江町を訪問しました。まちづくり団体「なみとも」代表・小林奈保子さんに町内を案内いただきました。

浪江町は、2017年に一部地域の避難指示が解除され、居住ができるようになったところです。請戸漁港に着くまでの車窓から見える街並みでは、今も、立ち入れないように柵が設けられた家やゆがんだ路面などが残っており、いたるところで整備工事が行われていました。飲食店なども看板や建物が残されたまま、ほとんど営業はしていませんでした。

しかし、震災で漁港や市場、関連工場等が消失してしまった請戸漁港が2018年に再開され、また先月9月には魚の仕分けや競りなどができる施設が完成するなど、徐々に水産業の復興が進んでいます。

ツアーの様子の写真

請戸漁港の近くにある「請戸小学校」は、子ども達と教員全員が地震後にすぐに高台に避難し津波を間一髪で免れたそうです。

ツアーの様子の写真

避難場所となった高台の大平山にある「浪江町東日本大震災慰霊碑」は、2015年3月に完成しました。津波で流失した沿岸部400世帯分のお墓がこの霊園に納められています。

【メンバーコメント】
  • 請戸小学校を目の前にして、津波の恐ろしさを肌で感じました。そして大平山に立つと、豊かな田畑だったはずの場所が失われ黄色いセイタカアワダチソウが生い茂る風景がとても寂しく町の苦しみを感じました。また大平山に立ち、命からがら生き延びた子どもたちの心や避難の途中で流されてしまった人たちの苦しみ、それを目の前で見てしまった方々の心の傷を考えて胸が苦しくなりました。
  • 石碑には、苗字が同じ方がいくつもあり、家族で亡くなってしまったんだ。。。と思うと心が痛みました。請戸小学校の避難の時のお話を聞くと、壮絶でした。何もなくなってしまった場所には家があって、人の生活があったのに、と思うと津波の恐ろしさがわかりました。実際、ここに来なかったらわからなかったと思います。
  • 請戸漁港と請戸小学校は訪問直前の台風に見舞われたことで、車窓からの見学だったので、次回もっと近くで見たいと思いました。大平山霊園は大切な場所なので、行けて良かったです。小林さんが案内をしてくださり、現地の方の声を聞けたことは臨場感があり理解が深まりました。
  • 請戸小学校の話は、震災後にニュースで何度も見て映像も記憶に刻まれていましたが、実際に小学校を見て、その傷ついた建物に、遠目にも関わらず衝撃を受けました。これだけの月日がたったにも関わらず、荒れ果てたままになっている土地にも言葉を失いました。実際に津波にあった方々はどれほど恐ろしかったことか。教訓として私たちにたくさんのことを教えてくれたことに感謝しなくてはならないと思いました。
  • 景色だけを見たらのどかな湿原地帯のようでした。地盤が沈んで水はけが悪くなり、福島訪問の前に来た台風の影響で地面に雨水がたまっていること、震災の前には住宅や田畑があったことなどを教えていただくと、寂しさと悲しさが一層染み込んできました。慰霊碑に書かれた言葉を読むと、書かれている内容に加えて、その文章を書いた方が慰霊碑にどれほどの想いをこめられたのか、名前を刻まれた方々おひとりおひとりのことに思いを馳せずにはいられませんでした。請戸小学校はずいぶん前に、テレビで取り上げられて再現VTRを見たことがありましたのでとても生々しく当日の様子を想像してしまいました。

③ 浪江駅前散策

みんプロメンバーたちは、大平山霊園から移動して、浪江駅の周辺を実際に歩きました。駅周辺には、人の姿がなく、残っている建物には、“取り壊し申請”の紙が貼られていて、まだ作業が手についていない現実と、住んでいた人たちが戻らないのであろう現実がありました。浪江駅から富岡駅までの間は電車が不通のままとなっています。現在の浪江駅周辺は、復興というよりは被害の修復の段階であることが分かりました(常磐線は2020年春に全線運転再開予定)。

ツアーの様子の写真

【メンバーコメント】
  • 津波の被害だけでなく、原発事故に伴う避難指示等がどれだけ町を破壊してしまったのかをまざまざと感じました。街にもっと活気づいて欲しいと思いつつも、病院や買い物できる場所もまだまだ少なく、生活するうえでの基盤が整いきらない街がどのようになったら良いのか、私たちは何をしたら応援できるのかを考えさせられました。
  • 浪江駅は、まだ電車が走っておらずバスを代わりに使っているとのことでした。駅中の路線図を見ても、浪江駅の表示がなく不思議な感じがしました。取り壊されるのを待つ建物がいくつもあり、更地、そして新しく建った建物などが混在していました。立看板は何だろうと思ったら、これが取り壊しの看板だとわかり、それがいくつも目に付き、驚きました。
  • 町の寂れた様子がとてもショックでした。かつて駅前通りが賑わっていたことは、残っている建物から伺い知ることができましたが、そのことがむしろ心に突き刺さりました。いつか以前のような賑わいを取り戻すことを切に願っています。
  • まだ電車も代行バスが運行している区間があると知り、阪神淡路大震災の経験と比べて復興に時間を要していることに驚きを感じました。阪神淡路大震災と異なり、津波や原子力発電所の事故があったため、除染に時間をとられていた数年を挟んでいることもこのような差を生んでいる。私はかつての浪江町を知っているわけではありませんが、以前の町のにぎわいを想像し、町へ戻りたくても戻ってこられない人々のことを想いながらの散策でした。
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